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第一、自分のライバルだと思っている相手が、誰に聞いてもほめられる。
そんな場合、世の中のほうを恨むか、自らの態度を改めるかのどちらかだろうが、彼が選んだのは、賢明にも後者だった。
そして一九九三年(その時、私はMクリニックで働いていた)、彼のそうした変化を象徴する出来事がおこった。
G教授は、かねてから時々起こっていた胸の痛みが耐えられないほどになり、心臓カテーテル検査をうけた結果、バイパス手術が必要であることがわかったのだ。
彼は、いわゆる攻撃的で自己顕示欲が強く、とにかく真面目に働いて、自分の目的を何がなんでも達成しようとする心臓病学でいうタイプAだったので、狭心症になりやすい素因をもっていたのだ。
手術が必要とわかると、G教授は、迷わずB.R教授に面会をもとめ、自分のために執刀してくれるよう依頼した。
かつて自分が目標としていたジョンズホプキンス大学心臓外科主任教授の座を奪い取っていったB.R教授に、すべてを託したのだった。
手術は成功し、約一ヵ月のリハビリ期間を経て、仕事に復帰したG教授は、一年後、P大学心臓外科に主任教授として迎えられ、現在でも新天地で活躍中である。
かつて、自分の意中のポストを奪ったB.R教授に自分の手術を託したG教授、そして、きびしい関係がつづいていたあいだも、一切G教授の悪口をいわずに、彼と敵対することを避け、最後には、主任教授となるサポートまでしたB.R教授。
このこともまた、一つの大きな組織を運営してゆく者に、何か求められているかを示す好例だと思う。
Jで出会った恩師の中で、最後にB教授について書きたいと思う。
B教授は、B.R教授より二歳年下で、S大学の心臓外科でチーフレジデントまでのトレーニングを終え、助教授となった直後に、B.R教授とともにJ大学へ移ってきた。
それ以来、ずっとB.R教授を支え、新しい心臓・肺移植プログラムの実質的責任者であった。
医学関係の論文の場合、Jとして、その施設のチーフの名前が、複数の著者の最後に載るのが通例になっているが、私か留学して間もなく、B.R教授は、B教授の名前を最後にもってくるよう、そして自分の名前はいちばん目立たない最後から二番目とするよう指示した。
これは明らかにV教授を育てよう、そしていつかは、どこかのよい施設の主任教授になってもらおうという姿勢のあらわれだった。
自分が主任教授だ、その組織を牛耳っているのだということを世に示そうとする外科医が多いなか、B.R教授のこうした姿勢は希有なものだった。
そして一九九三年、B.R教授は、自分の恩師であるS.W教授がS大学の主任教授を降りるのにともない、ついに母校にもどることを決心した。
S.W教授は、米国ではじめて心臓移植に挑み、その後も地道に研究をつづけてきた、文字どおり心臓移植の父と呼ぶにふさわしい人だが、残念ながら、その任期の最後の方は、移植もさておき、一般の心臓外科の症例数が、周囲の私立病院に押されて減少し、ちょうどS大学も立て直しをせまられていた。
一九八二年、三八歳でJの主任教授に迎えられてから一〇年余にわたって、世界の最高峰としての名に恥じない心臓外科をつくってきたライフ教授は、今度はS大学で、また新たな闘いに挑むことになったのだ。
主任教授の席が空席となった場合、アメリカでは次の主任教授が決まるまでのあいだ、仮のチーフ(アクティングチェアマン)をおき、約一年問かけてじっくり選考する。
J大学でアクティングチェアマンとなったG教授も、B.R教授の推薦をうけ、B主任教授の実現に向けて精力的に動いた。
全米の各大学に推薦を依頼するわけだから、手術の技量や学問的な業績では、B教授に匹敵する候補はたくさんいた。
しかし、多くの候補者を面接した結果、一つの組織をまとめてゆく人間的な資質において、彼にまさる人はいないと判断され、一九九四年一月、B教授は正式にB.R教授の後任として、J大学の主任教授に就任した。
一つの組織の長として求められている資質とは何かについて、私はB.R、B両教授から多くのことを学んだような気がする。
まず、私か知るかぎり、彼らの主宰する教室では、スタッフどうしが派閥にわかれていがみ合うといったことは、決してなかった。
長老や主任教授が、手術の症例を独占したり、自分の興味のある症例だけ取り込んでしまうといったようなことは一切なく、手術室や症例数のわりあても、主任教授から準教授、助教授にいたるまで、すべて平等であった。
また、現代の心臓外科は細分化され、複雑多岐にわたっているが、それぞれの部門の責任を若いスタッフに分け与え、彼らができるだけ仕事をしやすいようにサポートするシステムが確立されていた。
そうしたことは、よほど度量が広く、人望の厚い人物がチーフになった組織でしか実現できるものではない。
B教授は言う。
「根気強く、自分も相手も勝てる道を探すことだ。
それができたら、あとで困ったとき、勝たせようとした相手が必ず手助けをしてくれる。
そうして組織というものは強くなってゆくものだよ。
」H大学心臓外科の黄金時代をになった二人、B.R教授とB教授は別れ、おのおの約二年をかけて、今度は同じように素晴らしい教室を二つつくることに成功している。
ここに、組織の理想的な移り変わりを見たような気がした。
Jでの二年半は、またたく間に過ぎた。
この間、当初、長女、長男、妻ともう一人の四人家族だったわが家に、新たに二人と一匹のメンバー。
ハリーは、MRIを用いて心臓移植後の拒絶反応を調べる実験につかわれていた犬で、半年間、別の子犬の心臓を頚部に植えられていたが、無事に実験の期間が終わり、自分の心臓だけの本来の姿にもどってから、わが家にやってきた。
実験につかわれていた時の恐怖感がなかなかとれず、最初は、バスルームのなかにうずくまり、決して外に出てこようとしなかったパワーだが、九ヵ月たって二女の桜が生まれるころには、もうすっかり家族の一員となっていた。
獣医、基礎医学者、臨床医で構成されるARCはまず、その実験の目的、予想される結果と、その実験自体の妥当性について検討する。
動物の種類の選択や、実験グループごとの動物の数に問題はないか、実験中、動物の痛みはどのようにコントロールするのか、急性実験の場合、実験終了後はどのように安楽死させるか、慢性実験(動物を長期にわたって生かし、経過を追う実験)では、途中で感染などの合併症がおこった場合、どのように対処するかなど、あらゆる事項が検討の対象となる。
通常、半年くらいARCとのやりとりかつづいたあと、ようやく実験が許可されるが、一度許可をうけたからといって、それですべて事がすんだわけではない。
実験中も、ARCに提出した書類どおりに動物を扱っているか、たえず監視される。
また、追加実験が必要な時は、これまでの結果と、あと何匹くらい追加しなければいけないのかなど、詳細な報告が求められる。
要するに、動物にできるだけ痛みを与えないこと、そして、不必要な動物の犠牲はできるだけ未然に防ごうとの姿勢がつらぬかれているのだ。
ひるかえって、自分が大学院生としてはじめて動物実験をおこなったころの、日本の施設における実験動物に対する扱いをふりかえると、反省させられることが多い。
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